Gallery China
中国・雲南省の北西、標高2400メートルの高原に位置する麗江は、少数民族の納西(ナシ)族によって宋代の末期に形成され、既に800年以上の歴史があります。
瓦葺の古い木造の建物が軒を連ねる旧市街は、石畳が敷かれた路地が続き、万年雪を抱く玉龍雪山からの豊かな清流が網の目のように流れています。
納西族特有の文化を色濃く残す街並みとそこに暮らす人々を撮影しました。
かつてはポルトガルの植民地、現在は中国の特別行政区の一つであるマカオ。
カジノの収益は今やあのラスベガスを越えるとか。
植民地時代のポルトガルの文化とアジア特有の文化が共存、共生した土地は、世界遺産として多くの観光客を迎えています。
混沌とした街並みを歩いてみました。
肌に纏わりつくような熱気と人々の群れ・・ かつて「魔都」と呼ばれた街が発する臭いに惹かれ、幾度も足を運んだ上海は、近年著しい変貌を遂げその街並みは一変しつつあります。
戦前、「日本租界」が形成され上海事変の舞台となった虹口地区、細い路地に沿って民家が密集する旧城内の豫園周辺に二十数年前に初めて訪れた時の記憶と消えゆく臭いを求めました。
胡同(フートン)とは、北京の街を毛細血管のように走る路地のことです。
元・明・清の三王朝を通じて整備され、50年代には大小六千を数えたといわれます。
胡同は子供が遊び、老人が世間話に興じ、物売りの声が響く、庶民の暮らしが息づく生活空間です。
オリンピックを契機に北京は著しい変貌を遂げました。多くの胡同が消え、脈々と続いてきた人間同士の繋がりや多彩な庶民の日常生活の場が消えつつあります。
残り少ない胡同の面影です。
中国の最西端の街、喀什[カシュガル,Kashgar]は、古来からシルクロードの交易都市として栄え、文明の十字路、民族の十字路と呼ばれてきました。
「不到喀什,就不算到新疆 = カシュガルに来なければ、新疆に来たことにならない」と言われるくらい、喀什はイスラム教を信仰する誇りあるウイグル族の都でした。
近年、日干しレンガを積み上げた住居や細い路地が入り組む旧市街は、商業ビルやマンションに変わりつつあります。政府主導の開発はウイグル族の文化や習慣を漢民族のそれに同化させるかのようです。
86年当時の上海には、かつて日本や西欧諸国が築いた上海共同租界の面影が残っていました。
外灘(バンド)にある黄浦公園、蘇州河にかかる外白渡橋(ガーデンブリッジ)から魯迅公園(旧虹口公園)辺りまでの虹口地区は日本人の多くが居留する「日本租界」でした。
三角市場は租界当時の面影を伝え、第四国民学校は上海市中学校に、同仁病院は上海紅十字病院に代わったものの、北四川路の横浜橋や陸戦隊本部の建物は当時の姿を残していました。 時代の残り香が漂う上海の姿です。